テラスハウス
流行しているものには割とすぐ飛びつき、見てみたりやってみたりするのですが、恋愛リアリティーショー的なものはどうしても避けてしまいます。
「不気味の谷」という言葉をご存知でしょうか。より精巧な人形を作ろうとするとき、ある一定のクオリティーに差し掛かると不気味に見え始め、完全に人間と一致した段階でその不気味さが無くなる、という現象です。日本人形やフランス人形が不気味に見えるのはこのためです。
本物と絶妙な距離感を保った偽物に対して不気味さ、不快さを覚えるとするのなら、わたしにとって恋愛リアリティーショーは不気味の谷の底の存在です。あり得そうであり得ない、手が届きそうで届かないといったもどかしさを覚えてしまいます。
初めからフィクションだと言ってくれれば見ることができます。恋愛リアリティーショー「的」に創作したドラマだと言ってくれれば良いのに。その言葉があれば、たとえ本当はリアルであってもフィクションであっても不気味の谷の手前側のものとして付き合うことができるのに。
現実逃避癖のひとつなのでしょうか?
自粛中で心細くても
大丈夫。あなたは一人じゃない。代わりはいくらでもいる。
あたりまえのことをかっこよく説明するという誰も得しない試み
ゴールデンウィークが終わりました。
会社とアパートの往復といういつも通りの日々に身体が悲鳴をあげております。しばらくは生活リズムの矯正に力を注がなければいけなさそうです。
休み中の荒れた食生活の代償は大きく、1.3kgほど体重が増加し2%ほど体脂肪率が上昇していました。納得の数字です。ダイエットもがんばらなければいけません。
頭ではやらなくてはいけないと分かっているはずなのに、できないという経験は誰しもあるでしょう。こんなとき、頭の中には二人の自分がいます。「いま」とか「ここ」という、知覚可能な範囲で生きている自分と、「将来」とか「どこか」という想像された範囲を生きている自分です。
制限された食事によって見栄えの良い身体をつくり、日々の勉強によって知識豊富な大人になりたい。想像範囲のわたしが知覚範囲のわたしに指示を出します。
「食べすぎるな、勉強をしろ」
知覚範囲のわたしは、空腹、眠気、だるさを感じている。想像範囲のわたしが何も語りかけなかったら迷いなく好き放題の食事をし、昼まで眠るでしょう。頭では分かっている、という状態は、想像範囲の自分の語りかけが聞こえていると、換言でき、そしてできないという状態は、知覚範囲の自分がそれを無視している、と換言できます。
では、知覚可能範囲の自分を動かすにはどうしたら良いか。ここに必要なのは、納得です。
「納得」は必要だッ!「納得」は「誇り」なんだ!「誇り」のためなら命を賭けれるぜッ!」
(荒木飛呂彦『ジョジョの奇妙な冒険 第8部 スティール・ボール・ラン 』 集英社)
身に染みますね。納得は全てに優先します。想像範囲のわたしが知覚範囲のわたしを納得させることが必要なのです。大切なのは、想像範囲のわたしの説得力となります。
説得力には根拠が要ります。なぜ痩せなければいけないのか、なぜ知識豊富な大人にならなければいけないのか。回答としてわたしが用意できるのは、「モテるから」。「健康に長生きすることができるから」これぐらいです。
本当にモテるの?本当に健康でいられるの?その根拠は?モテるって具体的にどういうこと?と知覚範囲のわたしは問い詰めますが、想像範囲のわたしは具体的なことは言えません。いつも逆ギレのような形で、「いいから黙って従えや」と無理やりに知覚範囲のわたしを強制しています。
これでは長くは持たないでしょう。ここでの解決策は、この強制ー被強制の関係が破綻する前に、実際にモテることでしょう。事実を提示し、想像範囲のわたしの理論を証明するのです。
もし誰かに告白されたらQ.E.Dです。それまではずっと理論の中で苦しみながらダイエットとかお勉強を頑張ります。
チラリズムの可能性
先日あった話。
わたしが勤務している工場の所長はとても若い感性をお持ちの方です。すでに60歳を超えているのにもかかわらず、話題のお笑い芸人やyoutuberは欠かさずチェックしていています。好奇心旺盛であるため、常に新しいことを取り込んでいこうという意欲を強く持っておられます。
わたしが先輩社員に仕事を教えていただきながらメモを取っていると、所長が通りかかりました。そしてメモを取る行為に対し、「スマホで動画を撮影した方がいい。映像の方が情報量が多い上に、メモを取る手間が省けるから効率的だ。」という旨のアドバイスをいただきました。先輩社員の手前教えていただいているときにスマホを出すのは失礼だと思ったのですが、所長という、さらに上の立場の方にアドバイスを頂けたので遠慮なく動画を撮影することができました。
製造業界、特に自動車関係では、古くから三現主義という考え方が浸透しています。現場、現実、現物という三つの「現」を重視した問題解決を重視するというものです。
様々な情報メディアの中で最も「現」に近いのは、連続的な視覚的情報と音声を記録した、映像メディアでしょう。伝統的な考え方と照らし合わせても、メモを取ることよりもビデオで記録する方が合理的で適切だということがわかります。
それでもわたしはラジオが好きですし、本が好きです。圧倒的に情報量が少ない、非効率的なメディアが好きです。その理由を整然と代弁するような文章を鷲田清一 著『ひとはなぜ服を着るのか』のなかに発見しました。
性器を見たいという高校生の夢と、推理小説の結末を知りたいという読者の欲望と、究極の真理に触れたいという哲学者の欲望が同形のものだと指摘したのは、『テクストの快楽』 のロラン・バルトであったが、そういう結末、そういう隠された真理へといたる回路が設定され、それがたえず宙吊り(サスペンス)されていることで、これらの快楽はなりたっている。
「現」(上記の文章で言う「真理」)に一番近づくことができるのは映像メディアです。ただ、そこに宙吊りにされた快楽はあるのでしょうか。情報を得るという目的を満たすためだけの、機械的な作業に見えます。
わたしは情報を求めているのではなく、宙吊りにされた真理へと至る隠された回路をなぞることで得られる快楽を求めていると言えます。
裸体という真理ではなく、裸体へと至る隠された回路の発見に喜びを覚えるのはこのためですね。男性ならば共感できるのでは、、、?
DIYのようなこと
昨日はとても暑かったです。
しかし今年は長袖しか着ないと決めました。ユニクロのオンラインストア限定で長袖のエアリズムが販売されていることを知っていましたか?安価で着心地が良く、日焼け対策にもなるのでおすすめです。
5000円以上の買い物で送料が無料になるというシステムに踊らされ、5枚購入してしまいました。買ったからには着まくってやろうと思います。
本題です。
わたしは現在アパートに一人暮らしをしております。賃貸なので壁紙を変えたり壁に穴を開けることができません。好きな家具を置けるほどのスペースもなく、どうしても味気なくなってしまいます。狭く味気ない部屋で寝て起きてを繰り返すことは窮屈で仕方ありません。
そこで昨日、そんな生活へのささやかな反抗として、部屋のあちこちにホワイトボードを設置しました。ふとしたときに思いついた面白いことややらなくてはいけないことを手軽にメモでき、それをいつでも目にすることができるってすごく便利だと思いませんか?あと、研究者になった気分が味わえます。文系の無い物ねだりです。
ホワイトボードを設置するには壁掛けするためにフックが必要で、そのフックを固定する手段として壁に穴を開けることができません。両面テープでは心許ないし。またホワイトボードって意外といい値段するんですね。
お財布のことと賃貸であることを考え、どうしたものかと悩んでいると、以下のような商品を発見しました。
平面であればどこでもホワイトボードにできるなんて、理想通りじゃないか、と飛びつきました。ただ問題は、わたしの家の壁紙は平面ではないということ。ちょっと凸凹しているんです。
そこでダイソーに走り、プラ板を購入し、両面テープで貼り付けました。プラ板ぐらなら結構安定します。
最終的に無事、家中の壁にホワイトボードを設置することに成功しました。半日かかりましたが、出来栄えには満足です。いい一日でした。
おすすめの精神
SNSが発達した今、様々なものに対する、様々な批評を目にする機会があります。
Amazonで買い物をするとレビューをせがまれますし、実際そのレビューを参考にして買い物をすることも多くなっています。自分の目で確かめてから購入する機会が減ってきている中で、ネット上の評価は重要度が高いように思います。
今日はわたしが好きなお笑い芸人さんについておすすめさせていただこうと思ったのですが、どうも筆がすすみません。具体的な評価点をつらつらと書いていると、「わたしみたいな素人が何を偉そうに・・・」と恥ずかしく、申し訳なくなってしまうのです。おすすめをするからにはどこがおもしろいか、なぜおもしろいかというポイントを書かなければいけないのに、それがどうしても書けない。恐れ多いです。
浅い知識でものを語ることは、恥ずかしいことだと思います。褒めるのならまだしも、付け焼き刃の知識だけを根拠に批判的な意見を述べるような人は信用できません。
ネット上には様々な情報が転がっています。その中から正確な情報だけを拾い上げることは不可能に近いのではないでしょうか。ネットの情報を根拠にした批判は高いリスクが伴います。
そんな状況が関係しているのかどうかわかりませんが、有名人に対して「知らない」という批判を目にすることがあります。あふれている情報から正確だと思われる情報を集めて批判をする、という努力をせずにどうしても人の悪口を言いたいという、怠惰で性悪な行為です。知らないというだけで批評家を気取れるんですね。
「みんなテレビを見ているけど、私は見ていない」、「みんな服装に気を遣っているけど、私は興味がない」、「みんなあの有名な映画を見ているけど、私は見ていない」。
知らないことは恥ずかしいことだという感性は大切だと思います。
ちなみに、わたしのおすすめの芸人さんはかまいたちさんです。2019 M-1 アナザーストーリーを見てさらに好きになりました。決勝で披露されていた「トトロ見たことない」、最高に笑わせていただきました。公式youtubeチャンネルで動画配信をされているのでよろしければご覧ください。
テレビの役割
わたしはお笑いが好きです。
今日は2019 M-1 アナザーストーリーをAmazon prime で拝見して号泣しました。4回目の視聴にもかかわらず新鮮に感動させてもらいました。
バラエティー番組も好きでよく見るのですが、もっぱらネットの見逃し配信を利用しています。
このゴールデンウィーク中は実家に帰省したため、結構な時間をテレビを見て過ごしました。食事時のニュース番組はどこもコロナ関連の話題を取り上げており気が滅入りますね。耳を塞ぎたくなるような情報ばかりです。家族でもコロナの話で持ちきりでした。
テレビはコミュニケーションツールとして我が家では機能しています。おそらくどの家庭でも同様なのではないでしょうか。テレビの前の人に平等に同じ情報を提供してくれる、いわばトークテーマを与えてくれるものとして家庭では重宝します。
一人でいるときにトークテーマは必要ありません。誰ともその場で議論を交わす必要がないので。リアルタイムで議論を交わす必要がある場合のみ、テレビが必要になるのでしょう。
テレビは、共通の話題や楽しい雰囲気をその場に提供してくれます。家族や恋人と同じ屋根の下で生活をしている方々にとっては非常に大切なことです。
そのように考えると、テレビが売れるということは家庭で団欒をする時間が増えるということになりますね。恋人と同棲を始める、結婚する、といった明るい現象が増えていくことになります。
そのような意味で、テレビの出荷台数はこの国の幸福度と関係があるのかもしれません。親密な人と団欒をすることだけが幸せじゃないとか、団欒をするためにテレビは必要ないという意見は置いておいて。