常に一般常識とのバランス感覚を保っていないといけない
ルビンの壺と呼ばれる図形はご存知でしょうか。
白塗りの部分に注目すると壺のように見え、黒塗りの部分に注目すると向かい合った人の横顔い見えるという有名な錯視図です。
ひとは視覚的情報を脳内で 対象/その背景 に無意識で分類し、処理するみたいです。
対人関係でも、この 対象/その背景 という分類作業は行われているように思います。まず対象となるのはその人の顔であったり声、匂いではないでしょうか。直接的な情報であり、瞬間で 快/不快 の判断を下せる情報が対象にあたります。
そして背景となるのは服装や髪型、皮膚の色といった部分であり、それらを 快/不快 に分類することは個人の知識や経験に準拠すると言えます。
例えば、顔にタトゥーが入っている日本人男性を見るとわたしはその人を一般的なサラリーマンではないと判断します。日本人はまだタトゥーに公共性を認めていませんし、ましてやそれを隠すことができない顔に入れるということは、スーツを着て電車通勤をする一般のサラリーマンである可能性は極めて低い、と考えるからです。知識や経験を頼りにその人の背景を炙り出す作業を無意識に行っているわけです。
服装に関しても同じことが言えます。平日の昼間にボロボロのTシャツとジーパンで公園を歩いている人はおそらくサラリーマンではないと判断してしまいます。それも知識と経験に依っています。
対人関係にとっての背景が与える印象は、相手の知識や経験に依存しています。自分が好きな服を着て鏡を見たときの印象は、対人関係の中で相手が抱く印象と全く違う可能性があるということです。
先日、和服のリメイク品である和柄のアロハシャツを着ていたら友人にチンピラだと言われました。アロハシャツは、日系人がハワイの気候に合わせて和服を半袖のシャツにリメイクしたものが起源だと言われています。そのことをわたしは知っていたので和服のリメイク品であるアロハシャツは、伝統の深みのような印象を覚えていたのに、チンピラって、、、。
すごく気に入っていたのにちょっと着づらくなっちゃいました。ショック。